今こそ福島で観光を
破壊の現場から遠く離れた背戸峨廊渓谷は、まるで絵葉書のような自然の美しさと沢山の滝でハイカーを癒している。いわき市は、東京の北東200キロほどに位置する福島県の海側、浜通り地方にある。
数年前のある日、私はいわき市の自分のアパートから駅まで出かけるため、電話でタクシーを呼んだ。 どこに出かけたのかは思い出せないが、そのときのタクシー運転手との会話は明瞭に脳裏に焼きついている。
風の強い日だった。 家のベランダから顔を出すと、隣の店のシェードが風でバタバタとはためいているのが見えた。 電信柱の電線も乱暴にゆすぶられている。 正面玄関のレンガのスロープ前にタクシーが滑り込んできた。メゾン蔵前という私のマンションの正面玄関だ。
タクシーの自動ドアでさえ逆風で重そうに開く。 駅への道すがら、タクシーの運転手に向かって、今日は本当に風が強いですね、と話かけた。
「え?何の話ですか?」と答える運転手。「この程度の風、いわきではいつものことですよ」
数年後の2011年3月11日、巨大地震と津波の猛威により、日本の東北地方全体が破壊されてから6カ月ほどたったころ、私は強風の吹くいわきに再び降り立った。
辺境の街

いわきは最後の辺境のようなものだ。 何百年も前に、いわきの南にある生い茂った森の中に作られた勿来の関は、南の「文明化した」日本と、北の「未開人」の土地とを分ける境界線だった。
今日いわき市は面積でも人口でも日本の大都市の一つに数えられ、35万人強の人口は東北地方で2番目の大きさになる。
いまや前線の街
いわきの北限は、政府が定めた福島原発30キロ圏内の避難区域の境界線上にある。 いわきの北から仙台までのすべての地域は、事実上、避難対象となり放棄された。
この地域の生活が元に戻ることはないだろう。 いつもは入念な手入れが行われる水田には雑草が茂り、放置されていることがひとめでわかる。あの恐ろしい日の悲惨な記憶をとどめているのだ。

私は、震災後の様子を見るため、1週間ほどいわきを訪れた。 あまりにも多くのものが変わってしまっていた。
都市の一部は、強烈な津波に根こそぎ持って行かれ、近隣一帯は、建物の土台のみを残して消滅していた。 いわきで最も被害が大きかった豊間周辺は、美しい海ぞいの集落から少し奥まったところにあったがすべては流れてしまい、今はもう無い。
長年いわきに住む英語教師ピーター ギラムさんは、3月11日の直後に、ボランティアで豊間の清掃に参加したという。 彼は、豊間を自分の目で見なさい、と私を現地に連れて行った。
土台だけが残された廃墟と積み重なったがれきの間にある、いまや使われていない道路を歩いた。 このようなすさまじい破壊は見たことがない。 しかしギラムさんは、前回訪れた時と比べると、信じられないほど状況は改善されていると言う。




