様々なもので溢れかえる東京だから、SAMURAIの幽霊がいてもおかしくはないであろう。 何世紀にも渡り東京でも沢山の血が流されてきた。怒りに満ちた霊が今でも街をさまようと信じる人もいる。 その中で最も有名なのは、日本で最初の武士とも言われる平将門公の(903-940年)の怨霊だろう。
将門は関東地域に独立政権「坂東王国」を作り、「新皇」を名乗った。それが朝廷の怒りにふれ、朝敵となる。そのわずか2ヶ月後、現在の埼玉県で起きた激しい戦いで眉間を矢で射抜かれて絶命。 将門の首は京都へ運ばれ、晒し首となった。[フォトギャラリーを見るには写真をクリック]
飛びまわる首
将門の首伝説は複数存在する。『太平記』によると、首は何ヶ月たっても腐らず目を見開き続け、夜になると叫んだのだそう。また、激怒した将門の首は空を飛び、関東地域に戻ってきたとも伝えられる。 身体を一つにしてまた戦をするために、己の体を求めて探しまわったのだ。
だがそれは徒労に終わり、やがて力尽きる。将門の首は地上に落ち、各地に首塚の伝承が伝わった。中でも一番有名なのが、東京都千代田区大手町、皇居の近くにある首塚だ。
1000年余りという長い時を経て、その昔は海であった周辺も埋め立てられた。小さな村々は都会化し、現在の東京となった。 高層ビルが建ち並ぶこの場所は都内有数の一等地である。本来ならば古ぼけた塚など取り壊され、コンクリート都会の礎と化していたであろう。だが将門の力は今でも衰えてはおらず、政府高官たちは何度も首塚を移転しようと試みたが失敗に終わっている。世界で最も技術が進歩した都市である東京の中心で、将門の首塚は決して怒らせてはいけない怨霊の土地なのだ。
大臣にふりかかった不運
1923年に関東大震災が東京を襲ったすぐ後、大蔵省は敷地内にあった将門の首が洗われたと伝わる池を埋め立て、首塚を壊し、その上に仮庁舎を建てた。だがその後2年間、大蔵大臣ほか14名が相次いで他界したのをはじめ、職員の事故、病気など度重なる不幸に見舞われた。将門の祟りと恐れて慌てた政府は将門の怒りを鎮めるために鎮魂祭を行い、首塚を再建。 その後、第二次世界大戦が勃発するまで政府は毎年神事を行った。
神事をおろそかにした理由からなのか、1940年に大蔵省は落雷にあい、将門の首塚に隣接した建物の大半が焼失。 将門の死から1000年という節目でもあったので、政府は盛大な儀式を執り行い、慰霊碑を建立した。
戦後から現代までの将門
だが将門の祟りはまだまだ続く。戦争に負け、アメリカ軍が日本を占領した際、アメリカ軍は首塚を軍用駐車場に変えようとした。しかし撤去の作業途中にブルドーザーが転倒、運転手は死亡。 相次ぐ事故に震え上がった当局者はアメリカ軍にこの計画を中止させ、現在の首塚に至る。
さて、首は首塚があるが、体のほうはどうなったのか?一説によると、神田明神の「かんだ」は「からだ」が訛って神田となったといわれている。将門は京都では反逆者だったかもしれないが、窮状に陥っていた坂東の地では勇士であり、今では守護神として東京の街を見守っている。 毎年5月に行われる神田祭は日本の三大祭りの一つだ。日本で最初のSAMURAIに関わる天下の祭。是非一度足を運んで頂きたい。
将門の首塚へのアクセス
最寄り駅は大手町(東京メトロ)、C5出口。三井物産ビルの横。幟が立てられた小さな階段を上った先に首塚がある。住所:千代田区大手町 1-1-1。
Read more on the CNNGo app for iPhone / Android / Nokia now!
Get the latest travel and lifestyle news and views from across Asia. Discover more about your city with the best in local coverage and perspectives. Find out where to shop, play, drink, eat and escape - www.cnngo.com/mobile








