BBC のジョークが日本人の怒りを買ったワケ


そして英国人である彼は、『Turning Japanese(日本人になる)』という別のイギリス番組の画像リンクを送ってくれた。「又だよ、又!」と彼は言う。「これは『QI 』よりもさらにタチが悪い。」
クリックしてみると、この番組では男性用ランジェリーショップ、奇妙なコスチュームに身を包み芸人と一緒に舞台に立つパフォーマンスに加え、侍テーマパークなど東京の珍スポットばかりを取り上げている。 軽くて馬鹿っぽい番組ではあったものの、特に気にかかる点など筆者にはないように思われた。だが友人の目にはそうは映らなかったらしい。
「QI は男性 1 人を取り上げただけだけど、『Turning Japanese』は日本人全員をまるごと馬鹿にしているじゃないか!」と憤る。海外メディアはその情報発信源がどこであるか確認せずに、ただ「奇抜な日本」ということだけで飛びつく傾向がある。だからうんざりとした友人の気持ちもよくわかる。
「日本人になる」と謳いながらブラジャー姿で東京を駆け回る英国人の姿はビジュアル的にインパクトが強いので、スタジオで二重被爆者をジョークとして取り上げたものよりも侮辱的に映ってしまうだろう。だが、このQIと『Turning Japanese』は、両者ともユーモアという同じカテゴリーに当てはまっても、全く別の性質を持っている。
ユーモアには、「共に笑い合う」ものと「笑い者にする」ものの 2 つが存在すると考える。 内と外、つまり、己をどの位置に置くかによってそのジョークの性質が決まるのだ。 相手と同じ立場という「内側」の空間に自分も置き、ある話題に対しジョークを飛ばすこと。これは「共に笑い合う」行為だ。
しかし対象から離れた所に己を置けば、その笑う相手から完全に独立する。その結果、「外野」として相手を笑い者にする立場へと変わるのだ。
おどけたコスチュームで観客を前にステージに立つ英国人の姿は、自身も笑いの対象にしたいっぱしの芸人エンターテイメント。
だが、二重被爆者をジョークのネタにするのは対象から離れ過ぎている。 つまり、『Turning Japanese』は日本人と共に笑っているのに対し、QIは完全に日本人を笑いものにしているのだ。
考えてみて欲しい。日本のバラエティー番組が2005 年に発生したロンドン同時爆破事件の混乱模様を写した写真をバックに、生存者を笑いの種にすればどうなるだろう?
激怒したイギリス人からの怒りの電話が日本大使館に相次ぐのは目に見えている。しかし、それは当然の結果だと言えるだろう。 相手を見下し、馬鹿にした行為に他ならないからだ。
同番組の司会者とプロデューサー、ネットワークは決して悪気があったわけではないと謝罪している。だが、このような大きな失態を犯したなかで、その趣旨など問題ではない。 筆者に言わせれば、日本を的にしたこれ以上の失態など存在しないだろう。
広島と長崎への原爆投下に対する政治的な軍事的重要性についての意見がどうであれ、原爆投下により何万もの命がたった数秒で奪われてしまったことは紛れもない事実である。 被爆により何世代にも渡り苦しむ人々も存在し、笑いの種にするには酷すぎる。
事実、QI で笑いのネタとされた山口彊さんは被爆した妻や息子を癌のため早くに亡くしている。
配慮されるべき人物をこういった形で扱うのは軽薄で無礼極まりなく、 他のどの国よりも原爆の苦しみを知る日本人の本能に触れた結果となったのだ。
例え BBC に悪気がなかったにしろ、事実そうなってしまったことに違いはない。
だが、日本人は、広島長崎の原爆関連に逐一目くじらをたてる国民だと曲解しないで欲しい。
今回の事例から言いたいことは、センシティブな事柄に触れる際には、もう一度良く考える必要があるということ。 至極当然な行為のように聞こえるが、分別のある多くの人々が時折そのことを忘れている事実に驚かされてしまうのだ。
QI 映像はこちらから。






