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臭豆腐を恐れるべからず

臭豆腐を恐れるべからず

恐怖を克服し、文化のギャップに橋が架かる。素晴らしいことではないか。

ジョアン・ヤオ
上海生まれの私はアジアについてもっと知識があってもよかったはずなのだが、4 才の時中国を去りアメリカに移住したため、『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』の影響で アジアの食文化は醜悪に満ちていると刷り込まれていた。

その誤解はフード関連ブログによりさらに追い討ちをかけられた。

フィリピンの緑の斑模様をした魚の糞スパゲッティや、背教者のシェフが生の牛ミンチに血や胆液、スパイスを混ぜたタイのサラダ larb lu で冗談めかしていたし、中国では、毛が付いた頭骸骨に猿の脳みそが添えられてた料理が出され、それをめぐる PETA(動物の倫理的扱いを求める人々の会)の激しい怒りが蔓延したのだ。

臭豆腐が上海一の不快な食べ物だという人が一部いようとも、さすがにこの料理はこの悪食カテゴリーには入らないと声高に言いたい。 悪臭は放つが、猿の脳みそでもないし、社会的懸念材料でもないからだ。

臭豆腐の正体

もちろん、上海の臭豆腐はかなり鼻を刺激するものという点は認める。 街角の方々ににしつこく臭いニオイを撒き散らし、人々を驚かせているのも紛れも無い事実だ。

だが、臭豆腐は地方文化の一部。 それは、比喩的・嗅覚的な面による、街の切っても切れない消去不能な存在なのだ。

「謎の臭い」の正体をどうしても突き止めたくて、探して、探して、探し求めたという友人がいる。たどりついた臭いの正体は臭豆腐だったそう。 彼女はこの臭い豆腐に挑戦し、生還してきた。

彼女の体験談は、私が10 才の時に初めて臭豆腐 を食べた時のことを思いおこさせた。

それは、上海の親戚と過ごした夏休みのこと。発泡スチロールのトレイに乗った 8 つの小さな四角いものを生まれて初めて手にした。

少しつついた後、食い入るようにそれを眺める自分。 鼻を近づけ臭いを確かめ、さらにじっと見た。そして鼻をつまみんで、ひとつを口の中にポンと入れてみた。

モグモグ、モグモグ・・・それはカリッとした豆腐の塊であり、豊かな旨味が口いっぱいに広がった。

臭豆腐の初体験は大げさなものではなかったが、先入観から解放され、今ではその挑戦的な臭いは気にならない。

上海の新参者の多くが恐れをなす臭豆腐。実は豊かな旨味が口いっぱいに広がる豆腐だ。

単なる豆腐

臭豆腐は単なる豆腐だ。 世界の強烈な食べ物の部類としては最低ランクではあるけれど。

だが、臭豆腐は地方文化の一部。 それは、比喩的・嗅覚的な面による、切っても切れない消去不能な存在なのだ。

今では私は臭いも何もかも含めて臭豆腐が好きだ。

カリカリとした食感と旨味がいい。豆腐の「小箱」が「ワタシはごちそうよ」と主張しているようなところが特に良い。行く先で突如として臭豆腐の屋台群に出くわすことはとても楽しい。だが、探すとなると、なかなか見つからないことも多くて不思議である。

正直、臭豆腐に挑戦したあの日、私は恐怖の壁にぶつかった。 上海にただようミステリアスな悪臭をキャッチした友人も同じだ。

しかし、二人とも壁を乗り越えた。恐怖を克服し、文化のギャップに橋が架かる。素晴らしいことではないか。

読者の方々も是非臭豆腐を、一度でいいから試して欲しいと願う。

都市伝説

「誰が豆腐を作ったかわからない。とてつもなくおぞましいものが中に摺りこまれおり、汚水にまみれた大きな川からすくった脂の類で揚げられ、有毒な発泡スチロール容器に乗せられ出されるのが臭豆腐」という話を聞いたことがあるかもしれないが、それはただの都市伝説である。

人々は、日々、臭豆腐を食べ、生きている。臭豆腐を食さないのは単なる食わず嫌いということだ。

余談だが、ラム肉のカバブは臭豆腐と同じような試練を通るのではないか。 水煮魚(川魚の唐辛子煮込み)もそれに然りだ…と冗談はさておき、最も懸念しなければいけないのはむしろ上海の公害汚染の方だ。

他の何よりも最初に命を奪う可能性がある。

同記事は、ジョアン・ヤオ独自の見解によるものである。