視野が広がる西パプアの旅
インドネシアの一部ということになってはいるが、西パプアはこの列島からなる国とはいろいろな意味で一線を画している。
北岸にある最大の都市ジャヤプラの空港につくまでの間に、これから南に向かう旅路に何があるかをちらと眺めることができた。

しかし私が一番楽しみにしているのは人々との出会いであった。 飛行機を降り、ジャヤプラの地を一歩踏むやいなや、伝統的な男性器ケースを着けたダニ族の男性とダニ族の衣装をつけたトップレスの女性が、歌い、踊りながら我々訪問者を歓迎してくれた。

これほど落ち着かない歓迎パーティはあまりないといえよう。
ジャヤプラから、この地で最高といわれる南のワメナに向かった。だが、この国には内陸に道がない。 よって、すべては空輸しなくてはならない。食糧も生活物資も石油もなにもかもだ。
ジャワ島のビジネスマンは、1リッターあたりUS$5という法外な価格だワメナへの石油供給を独占しているという。又、食糧などの生活物資の物価もインドネシアの他の地域と比べて平均で3~5倍が相場だ。

ワメナを旅すると、生活が基本に戻っていくような感じがする。
泥と岩盤滑りが常に脅威となるこの国で、私の乗っていたトラックも橋の手前で2時間ほど立ち往生した。その間、村人たちは、素手とはだしのまま、壊れた木の橋を作り直した。
しかしこれは、西パプアの10日間の滞在中に経験する信じられない出来事のほんの序章でしかない。

訪問者が来ると彼らはいつも伝統的な歌と踊りを披露してくれる。しかし実際の生活は物質的にも文化的にも楽なものとは言えない。
現地の多くの人の指が変形し、短いことに気がついた。ダニ族の伝統では、老齢の男女が伴侶や親族を亡くしたとき、指を切る習慣があるのだ。
だがパプアの近代化と共にこの伝統は消えつつある。

西パプアの内陸の住民は、60年ほど前にアメリカの人類学者が研究のため飛行機でやってきたときに初めて外の世界に接した。 そのあとすぐに宣教師たちもやってきた。
海の向こうからやってきた人と初めてコンタクトをとった出来事を覚えている長老数人から、当時の様子を聞くことができた。 部族の人々と西洋人との関係は当初、困難を極めたという。しかしすぐに、貿易が増え、友好的な関係が築かれた。
そして今では観光事業は彼らの生活の一部だ。

食べ物はやや当たり外れが大きい。 サツマイモ、バナナの葉に包んで蒸したサゴヤシのペースト、タロイモ、キャッサバ芋の伝統料理をふるまわれた。
これは少し期待はずれだった。しかしその後これまで経験したことがない、ファミリーバーベキューに招かれた。 ベカーバトゥ、現地語で「石焼き」と言われるこのバーベキューでは、熱い石炭の入った穴の中に石を投げ込んで何時間も置いておく。
そこへ絞めたばかりの鶏や豚、さつまいもやその葉、そして、現地でタウイと呼ばれる赤い果物をバナナの葉に包んでその穴に投げ込むのだ。
食べ物の上にさらに灼熱の石を乗せて数時間、焼けるまでそのままにしておく。 近くに住む近親者たちが集まってきた。 これは地域最高のご馳走なのだ。
私は、バナナの香りのジューシーでしっとりした鶏肉の蒸し焼きがとても気に入った。塩も調味料もいらない。

一番目を惹く食べ物と言えばもちろんタウイだろう。 食べた人の歯を真っ赤に染める、この刺激の強いペーストは、現地の人にとって最高の食べ物のひとつだ。

タウイは、癌やエイズを含む数多くの病気を治し、予防する力があると彼らは主張する。

また別の村では、村の長老が、360歳のミイラ化した親戚を紹介してくれた。
種族に大いなる貢献をした長老を讃える、究極の方法は、長老の遺体を数週間も数カ月も火の上でいぶすことなのだそう。

長老のミイラは飾られ、長老の偉大さは後の世まで語り継がれていく。
現地の人々のほがらかな笑顔と暖かいもてなしの陰で、この地域ではエイズが大きな問題となり、世界有数のマラリア感染地域でもあるという悲しい現実がある。

クリントン財団が資金を出している小さな診療所は人手不足ではあったが、毅然としながらこの問題に立ち向かっていた。
海外からの旅行者にとって、抗マラリア剤さえ準備して出かければ、マラリアは何の問題でもない。
しかし多くの現地の人は、薬は高すぎて手が届かないと肩をすくめる。死ぬまで予防薬を飲み続けるなんてことはできない相談なのだ。





