「これが私のやり方」: 波紋を呼ぶ女優・歌手、沢尻エリカ、改革を目指し発進
日本で最も話題のスターが、時代遅れの業界を改革しようと、ひとり歩み出す。
By Robert Michael Poole 1 September, 20102007年9月の舞台挨拶で悪評だった「別に。」発言以来、彼女は次々と物議を醸し、規律正しく慇懃な日本の芸能界に驚きを与えて来た。かなり流暢な英語で、全く臆することなく話し(日本では稀なことだが)、彼女がどんなことに取り組む時も、その血管には自信が流れているようだ。沢尻エリカに対する日本のメディアの多くの意見や認識は、じきに修正されて行くことだろう。
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特別な生い立ち

おそらく沢尻エリカは、異例の存在となるべく生まれついたのだろう。 ベルベル人(北アフリカの先住民族)の母と、裕福な日本人の父のもとに生まれ、 幼少期の教育は一般のそれとは違うものだった。 「母はアルジェリアに生まれ、パリで育ち、24,5歳の時に東京に来て、父と出会い暮らすことになったんです。祖父母はもう亡くなっていて会ったことはなくて、母方の親戚とはあまり交流もないのですが、母は6人兄妹なのでその何人かには子供のころ会ったことがあります。」 と、彼女は説明する。
「私はベルベル語もフランス語も習ったことは一度もありません。でもいつかはやりたいな。 私が幼い時から、母はアラビア音楽やジプシー・キングスとかの音楽をいつも聞いていたから、強く印象に残っています。」 日本では、外国人の血を引く人はまだ珍しい存在だと言えて、そうした人の多くが 日本社会から疎外されているような感覚を抱いている。 外国人でもなく、完全な日本人でもないと見なされるからだ。
最近は、少なくとも東京ではその状況は変わりつつある。それはどんどん増えている外国人の血を引く有名人、特に音楽アーティストの おかげもあるだろう。 クリスタル・ケイ(韓国人とアフリカ系アメリカ人のハーフ)、青山テルマ(トリニダード人と日本人のハーフ)、木村カエラ(イギリス人と日本人のハーフ) などが、日本人の定義に対する世論を変え始めている。 しかし、アンジェラ・アキ(イタリア系アメリカ人と日本人のハーフ)は、単一民族の国で育つことの大変さについて認めたことがある。 沢尻は語る。「私はインターナショナルスクールに通ったこともないし、自分のことは完全に日本人だと思っています。でも、外国、特にヨーロッパの国にはずっと行ってみたいと思っていて、21歳の時にロンドンに行くことを決めたんです。」
名声と悲しみ
英語を学ぶため1年間ベル・インターナショナル・インスティテュートに通うことになるまでに、沢尻は誰よりも多くの人生経験を積んでおり、ほんのしばらくだけでも普通に近い生活を送れることを喜んでいた。「私の家は、小さい頃はかなり裕福だったんです。父は競走馬を何頭も持っている馬主で、手広く事業もしていて。でも私が9歳くらいの時に父が突然失踪してしまって。 その頃は東京に大きな家があったんですが、アパートに移らなくてはならなくなり、生活の為に母は本当に苦労したと思います。家や宝石やいろいろなものを売らなくてはいけなくて。 大変な時期でしたね。そして私が15歳の時、突然父が戻ってきて、自分は癌にかかっていて、もう助からないと言うんです。それで、二人の兄と家族全員で1か月程一緒に暮らしました。」 彼女は中学3年で父を失い、さらに高校1年の時、長兄を交通事故で亡くしている。沢尻は中学生の頃からモデルの仕事を始めていたが、2005年のテレビドラマ『1リットルの涙』で、脊髄小脳変性症(SCD)を患う少女池内亜也の役を演じ、人気に火がついた。。 まだ13歳の時に、日本の芸能事務所スターダストと契約し、テレビドラマ『タイヨウのうた』に主演した。歌手としてのキャリアの始まりは、ソニーから2曲の楽曲を出し、それらが連続して1位になるというものだった。デビューしたての歌手がこうした快挙を成し遂げたのは、1983年以来のことで、それ以上ないほどの速さで昇りつめて行った。
しかし落ちるのにも時間はかからなかった。振り返ってみても、沢尻は気にしていないようだ。「満足できる内容ではなかったから、(連続1位も)それほど嬉しくなかったんです。どうして1位になるのかもわからなかった。みんなおかしいんじゃないかと思ったくらい。 曲も好きではなかった。歌謡曲みたいで。」
日本の芸能事務所のシステムへの反抗

沢尻も、日本の大多数のタレントと同じく、これはしていい、これはしてはいけないと芸能事務所からコントロールされる契約に縛られていた。日本では、多くのタレントが、事務所の「従業員」として単に固定給を受け取っている。音楽アーティストたちは新しい試みを制限され、役者たちは自分たちで選んだものではない舞台へ出される。その上彼らは途方もなく長時間働かされている。上戸彩のような日本のトップスター達さえ、そのシステムに精神的に相当苦しんだと認めたことがある。そのコントロールの程度は、スター達の社会的孤立を生み、普通のプライベートな生活を送ることが許されない状態にまで達することもある。そんな状態の多くの人が、道を踏み外すにまで至ることも納得できる。「ロンドンへ行く前、東京にいた時は大変でした。毎日働いてばかりで、寝ることもできなかった。
3時間睡眠くらいで、毎日がすごく大変だったから。」と、沢尻は言う。「それで、一度立ち止まり、ロンドンに行ったんです。1人の女の子として普通の生活を送ってみたかったんです。英語を習わなくてはいけなかったし、難しかったけど、すごくいい経験になりました。学校へ行って、放課後には友達とみんなでパブに行って、ビールを飲んでおしゃべりしたり。」
2007年9月、映画『クローズドノート』の舞台挨拶で不機嫌そうだった沢尻は、司会者の質問に対して短くそっけない答え方をした。それについては 日本人としての礼儀に反し、共演者に対しても失礼にあたると、徹底的に日本のメディアから批判を受けた。2日後、テレビ朝日のスーパーモーニングで、彼女は謝罪した。
「あれは間違いでした。前の事務所が謝罪しなくてはいけないと言ったけれど、ずっと断っていたんです。 絶対したくなかった。これが私のやり方なんだから、と。 結局私が折れて。でも間違ってた。」
論争と後悔
その頃沢尻は21歳年上の日本人のメディアクリエイターの高城剛氏と交際しており、2009年1月に結婚した。離婚はまだだが、彼と過ごした時さえも後悔している様子だ。「彼とロンドンで暮らしていた頃は、本当に大変だったから、あまりいい思い出はないんですね。本当に大変だった。悪夢みたい。でも幸いなことに地元の友達もできて、パーティやクラブに連れて行ってくれたりして、楽しかった。 ロンドンのナイトライフは最高だから。」 ロンドンで1年間過ごした後、彼女は荷物をまとめ、バルセロナでもう1年を過ごした。 夫の高城氏がニュージーランドにいることが明らかになると、日本のメディアは別居の可能性について噂した。2009年、自分で選んだ活動休止から2年ほどたった頃、所属事務所が彼女を契約解除した。
「いつも復帰したかったし、また仕事を再開したいと思っていました。そうする予定でもありました。芝居に対して、どの作品で復帰するのかっていうのは、自分の中ですごく重要で。映画ではずっと決めているものがあって、それじゃなきゃ出ないっていうものがあるんです。去年からずっとその役がやりたいって言ってて。」
人生への復帰

2010年3月、沢尻は再び日本のメディアから憤激を引き起こす。スペインで設立した個人事務所から、復帰の告知と、メディアがしていいこととしてはいけないことについて述べた6項目にわたる規則(かなり生ぬるいものだが)を日本のメディアにファクスで通知してきたのだ。トラブルメーカーという彼女の評判を保ち続けるのに、メディアには格好の素材だった。
「私のしたことではないんです。全く知らなかった。」と、沢尻は大きな声をあげた。「6か条の誓約書と言われるものは、夫の考えです。彼を信じていたし、信頼していたので。 でも彼はやり方を間違えたと思う。」「元夫との問題が解決したら、(法的にはまだ結婚していますが)、いろいろ変わって行くでしょう。いつ解決するのかはわからないけど。」
2010年は沢尻にとって、再び大舞台へ踏み出す年となった。5月に開催されたガールズアワードのステージで、初めて英語で歌いパフォーマンスをしたのだ。「今はダンスミュージックをやってみたい。」と彼女は言う。さらに、ファッション・美容雑誌を始めたくさんの雑誌の表紙を飾っている。
孤高であること
東京に住んでいる人なら誰でも、2010年は沢尻エリカの姿をいたるところで目にしたことだろう。メディアへの露出が多すぎることの心配について訊いてみると、「それは2007年に経験済みです。今回はあれほどではないですから。本当に、今私は演技したいし、歌いたいし、なんでもしてみたいんです! 今やりたいんです。自分の創造性をどんな形でもいいから発揮したい。 写真も好きだから撮っているし、趣味の範囲ですがグラフィックデザインもやっています。」
歌手活動については、業界の最大手との契約が間近とも噂されているが、沢尻は今回、自分のマネージメントの全権を委ねるつもりは全くないようだ。組織全体に対しても、強い批判の声をあげた。「タレントが普通の生活を送ったり、意見を言ったりすることを制限するということは、日本の芸能界の問題点だと思います。一番大きな。そうしたやり方はとても古いものだと思う。年配の方たちも多いから。でもそうした状況は変えていかなくちゃいけないと思うんです。」
80年代のアイドル松田聖子は、トップアイドルの座にある時に結婚し、結婚して引退という道を拒み、伝統的日本人の価値観に一石を投じた。 国民の意見が分かれようと、女性アーティストが勇気を持って自分の信じることを率直に述べたのは、その時以来なのではないだろうか。現在は日本に戻り東京をベースにした彼女は、スター達が成功を収めながら、いかに個人の自由と創造の自由とのバランスをとっていかれるか、新しい形を模索しようとしている。沢尻は、フリーランスであり、独立した立場でいようとしている。「日本で自分の事務所を持って、日本の芸能界と協力してやっていきたいんです。」と、彼女は言う。「私たちは21世紀に生きているんだから、今の状況に合うように変えて行くべき時じゃないかな。」
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