平家に非ずんば人にあらず
「平家に非ずんば人にあらず」と、一世を風靡した平家。その平家一門を滅亡へと導いた 治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん) 最後の合戦はあまりにも有名である。源氏800艘、平家500艘の舟が、 赤間関壇ノ浦(山口県下関市)にてぶつかりあった。 平家水軍は潮の流れに乗り、最初は優勢であったものの途中で海流が反転、劣勢に。そしてそのまま壊滅状態となり、ついこれまでと感じた平家一門は、意を決して次々と身を投げ、泡沫の如く海に消えた。

「波の底に、極楽浄土というとても良い都がございます。そこへ一緒に参りましょうぞ」
この時、安徳天皇はわずか八歳。平家の栄華のあかしであった幼帝は、壇ノ浦にその玉体を沈めた。寿永4年3月24日(1185年4月25日) のことである。
母建礼門院も後を追うが生き残る。そして彼女は夢を見た。母と息子が竜宮城にいる美しいものだ。 安徳天皇をご祭神とする赤間神宮は、その竜宮城を模している。紅白で彩られた神門の向こうには、干満により1日4度も海流が変わる関門海峡が見える。そこには石段がもうけられており、壇ノ浦からいつもでも御魂がいらっしゃれるよう配慮がされている。波間から突き立つ刀や火の玉が時折ここで目撃されるらしい。
今では神宮とよばれる神社であるが、明治までここは寺であった。源頼朝の願いによって開基された、菩提を弔う阿弥陀寺。また、滅亡という悲劇を後世まで伝えようと、仏僧による琵琶に弾き語りが盛んであった。今では平家一門の合祀墓「七盛塚」の横で、耳を引きちぎられた芳一の姿を見ることができる。
闇夜に浮かぶ、恍惚とした芳一の顔。その表情は尋常の域を超えており、目をそらすことができない。人は亡霊と接触すると、人間性を超越してしまうものなのか。しかし、なせ平家武士は耳を持って帰ったのだろう。たとえ耳だけであったとしても、己の悲劇を聞いて欲しかったか。
背後にある漆黒の闇が酷く怖い。耳無しになるのは、芳一だけでなく私もなってしまいそう。圧迫感のある暗闇が恐ろしく、筆者は一分も留まることができず、退散した。
平家の落人
早朝5時半、平家一門の墓の前にもう一度立つ。そして辺り一帯に「栃木県湯西川」と記された提灯が飾られていることに気がついた。平家落人の里、湯西川。 そこには日本で唯一の分詞といわれる赤間神宮がある。ところで、混乱されがちな点をひとつここでクリアにしておきたい。「平家の落人」は「平家方に与して落ち延びた人」をさす。つまり、平家に味方した武士も含まれるので 一概に平家の落人=平氏とは言えないのだ。
では、平家一門には阿弥陀寺/赤間神宮があるけれど、平氏ではない落人達は、無念と、怒りと、悲しみを胸に抱えたままどこへ行ったのか。800年以上経っても、未だに彷徨い続けているのではあるまいか。
筆者は一度、その憤怒の声を聞いている。湯西川にまだ苦しまれている人がいるようなので救って差し上げてください、とお線香をたむけ真摯にお願いし、赤間神宮を後にした。

沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし
たけき者もついには滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ
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